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市内東本町1、柏崎ふるさと人物館(桑山省吾館長)に14日、亡くなった母親が若いころに学んだ足跡をたどり、北海道から兄妹がそれぞれ家族とともに訪れた。2人の母親は苦労の末、柏崎の旧宮川産婆学校で学んだもので、開設者である故宮川文平氏の資料の前で目頭を熱くした。
訪れたのは佐藤和彦さん(65)=室蘭市、妹の竹下照子さん(59)=札幌市。2人の母親ハルさん(1911年−2001年)は貧しい家に生まれ、小さいころから奉公に出た。たまたま奉公先で知り合った友だちの親せきが柏崎にいたという縁から看護の道を目指し、柏崎にやってきた。
旧宮川産婆学校は当時、故文平氏のおいの故重平氏が継承していた時代。ハルさんは看護学校で学び、学費をためた後、助産師の資格を得るため、さらに産婆学校へと進んだ。和彦さんは「小学3年程度しか出ておらず、文字も読めない母なのに、『先生に明日からおいでといわれ、その言葉が一生忘れなかった』と、子供の私たちに何度も話していた」と語った。
和彦さんは館内に展示される宮川家の業績を示す資料に目をやり、「母にとって、産婆学校で学んだことは一生の誇りだった」と感慨ひとしお。また、ハルさんが学校裏の白龍神社のお宮の明かりで勉強したとも聞かされており、そこも訪れた。案内役を務めた重平氏の長男・故糧平氏(元柏崎市刈羽郡医師会長)の妻久子さん(71)は「家族から来てもらえ、本当に感激。父たちも喜んでいることと思う」と遠来の客を歓迎した。
(2003/ 5/17)
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